2016年04月23日

いないものと思って暮らしているのに...

義妹は実家が資産家の夫に嫁いでいます。夫も大企業に勤めていて、お金に不自由のない暮らしをしています。資産家のご両親が買ってくれた家に住んでいます。好きな時に実家に帰って好きな時に子どもを預けています。

要は私とは正反対の暮らしです。

私は義母の借金がある家のせいで貯金もできない夫に嫁ぎました。夫の店を手伝いながら必死に家賃を稼いでいます。車もありません。実家には一年に一度しか帰れません。子どもを預かってくれる人もいません。

比べることではない、とわかっていても比べてしまうようなことが起こります。夫の家族はいないものと思って暮らすことにしたのに、彼らは彼らの気の向くまま、私たちの暮らしを邪魔してきます。私の心をざわつかせます。

義父の誕生日、義母の誕生日、私たちの息子の誕生日、春節、そういう時に必ず連絡してきて、店を閉めて参加するよう促します。それはいつも突然で、それはいつも店の稼ぎ時である週末です。

何度も言いました。週末は無理だと。普通は言わなくてもわかることでしょう。私の家族や友人はいつも気を遣って週末は避けるように計画してくれたり、何週間も前に前もって連絡をくれます。夫の家族は言っても理解してくれません。

義父の誕生日のお祝いをするそうです。今夜。それを昨日義妹が連絡してきました。夫は当然、無理だと断りました。夫は優しいので常にオブラートに包んだ言い方をします。それが更に私をイラつかせます。

夫 「店は抜けられないよ。でも代わりに電話しておめでとうを言うから!」

義妹「あぁもう...本当に一緒に食事するのも難しいわぁ。一回ぐらいいいじゃない!お父さんだってもう63歳なのよ...。」

じゃあ

私たちの定休日にしましょう!あなたの夫にも会社休んでもらって全員で参加してください!一回ぐらいいいでしょ?

って私が言ったらあなたたちはなんて言うんですか。

どうして他人の気持ちがわからないんでしょうか。どうして相手の立場に立って考えないんでしょうか。いつも私たちが悪者です。

私は自分の親の誕生日に帰れません。365日のたった数日しか会えません。それは離れて暮らしている者の運命です。わかっています。近くに住んでいて365日のいつだって会えるのに会いに来ようともしない、普段から何一つ助けてくれない、それなのに自分の誕生日だけ祝ってもらおうなんて虫がよすぎる、と思う私は薄情なんでしょうか。

遠くの親戚より近くの他人


私の場合「近くの家族より近くの他人」「近くの家族より遠くの家族」です。

いないものと「思って」暮らすことはできても本当にいないものにはできないのが現実です。私はその現実を突きつけられる度に心がざわつき平常心でいられなくなります。

お金持ちにならなくてもいいです。ただ夫と息子と平穏に暮らしたいだけなんです。


もう邪魔しないでください。

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posted by じぇいこ at 15:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夫の家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

台湾でも日本のドラマ

今期のお気に入りは『火の粉』『ディアスポリス-異邦警察-』です。あとは朝ドラは絶対見ることにしているので『とと姉ちゃん』も見ています。

日本にいた頃はそんなに日本のドラマ気にしてなかったんですけど、海外にいると梅干しとか納豆とか欲しくなる感覚で日本のドラマへの欲求がメラメラと燃え上がってきますねヽ(★`д´)ノ !!

今は海外に住んでいても家族とSkypeやLINEで無料で話せるし、梅干しや納豆だってスーパーで買えるし、日本のテレビ番組だって見られます。本当にありがたいです。

今日はもう仕事も終わったし、息子も寝たし、何見ようかな。

追伸: オススメあったら教えてください!(って誰か読んでくれてるかな(;・∀・))
posted by じぇいこ at 21:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月21日

イジメがこの世界から消えてなくなることなどないのだから、(5)

前回の記事はカテゴリ「私の過去」をご覧ください。

中学校に入っても結局同じでした。変わったことと言えば、私をイジメる女子が多恵ちゃんではなくなった、ということぐらいでした。

多すぎていつのことだったか覚えていないくらい、中学校生活は荒れていました。荒れていたのは私ではなく、目立ちたがり屋の女子たちです。陰口、無視は当たり前。とにかく嫉妬が渦巻いていました。お菓子を作って交換するのが流行っていましたが、私が作ったお菓子はグラウンドの地面にばらまかれて足で踏み潰されていたそうです。そうやって「言わないでね。」と教えてくれる子が何人かいましたが、小学校と同じ、皆、いじめられたくはないのでコソコソと秘密で教えてくれました。ある時は「〇〇君っていい感じだね。」と女子の間で話した後、ホワイトデーの朝、靴箱にゴミが貼られた箱が入っていました。あげてもいないバレンタインのお返しでした。一円玉、お菓子の紙くずなどがテープで貼り付けられていました。さすがに頭にきて、その男子のいる教室へ返しに行きました。怒鳴り散らす私を女子たちがニヤニヤ笑って見ていました。とにかく数え切れないくらいの最悪な出来事があった三年間でした。涙も出ない卒業でした。私をいじめてきたアイツらはバカみたいに皆泣いて別れを惜しんでいて、それが更に私を白けさせました。

高校はいろいろな中学校から集まって来るので意地悪や嫉妬深い子もいましたが小学校や中学校のように直接いじめられることはありませんでした。体育教師たちによる体罰まがいのことが横行していたので生徒達はむしろ団結していました。楽しいことがあるわけではありませんでしたが、前よりずっとずっとましでした。

大学は本当に楽しかったです。地獄を見てきた私にとっては天国でした。本当に心から親友と呼べる友達もできました。勉強も楽しかったし、もちろん大好きな友達と遊んだり買い物に行ったり、「やっぱり大人の世界は自由だ!」とさえ思いました。夢だった留学も叶い、今でもあの時になら戻ってもいいな、と思うぐらい素敵な四年間を過ごしました。

まさか、その後にまた地獄に戻るなんてあの頃の私は一ミリだって考えもしませんでした。
posted by じぇいこ at 23:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | じぇいこの過去 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする