2016年04月30日

イジメがこの世界から消えてなくなることなどないのだから、(7)

前回の記事はカテゴリ「私の過去」をご覧ください。

英語を使える機会はあまりありませんでしたが、仕事自体にはやりがいを感じました。エクセルなどは慣れていましたし、会社の備品や工具等の注文も一旦覚えてしまえば簡単でした。新しいことも覚えなくてはなりませんでしたが、私の性格に合うような作業ばかりで苦になることはほとんどありませんでした。どちらかと言えば好きな仕事でした。

最初のうちは弁当を持参し、経理の女性、高田さんと一緒に食べていました。最初は楽しかったのですが、高田さんが時々、寿退社した私の前任の女性の悪口を言うようになりました。「男に色目を使ってた」だの「しょっちゅう本社に遊びに行ってた」だの...既にいなくなってしまった人の悪口を後任の人間にべらべら言う高田さんに少し不信感が芽生えました。しかし、たった一人の同性の社員なので失礼のないように当たり障りない返事をしていました。それでも、短い昼休みの時間くらい気分よく過ごしたいと思い、しばらくして弁当持参をやめ、昼休みは実家へ帰るようになりました。

高田さんは四十代後半のバツイチ子持ちの女性でした。女手一つで二人のお子さんを育てていました。最初に高田さんを見た時、性格がキツそうだと思いましたが、やっぱり第一印象というのはなかなか当たるものです。私は自分自身が見た目で勘違いされることが多いのでできるだけ、人を見た目で判断しないよう心がけています。それでも、やっぱり第一印象が当たることはいい意味でも悪い意味でも多々あります。

高田さんは自分が注目されなければ不機嫌になりました。どこかで聞いたことありませんか...そう、私の学生時代、私をイジメてきた女たちは皆そうでした。社長や部長が直接私に仕事を頼むと、それだけで不機嫌になりました。無視が始まり、デスクの引き出しを壊れるんじゃないかというほど強く閉めたり、ファイルを投げるように置いたり、私の向かいの席で何度もされました。大きな音が聞こえるたびに心臓が震えました。系列企業の社長がいらっしゃった時も特別に私に声をかけてくださると、高田さんは不機嫌になりました。誰かの歓迎会や送別会があると「私は行かないけど、じぇいこさんも行かないよね。」と言われ、暗黙のうちに私も不参加になりました。一度だけ工場の方に若い女性が入るということで歓迎会が行われました。女性同士なのだから行ってあげるのが当然だと思っていましたが、高田さんは案の定「私は行きません。」と先に言いました。私は高田さんに逆らい「行きます。」と答えました。そこからはしばらくひどい無視が続きました。残業もさせてもらえませんでした。「残業代はきちんと出すから残業してくれないかな。」と社長から直接言われましたが、毎日5時になると「もう帰っていいよ。」と高田さんに言われました。自分の居場所が盗られるのが怖かったんでしょうか。仕事内容も違う、年齢も違う、立場も違う、そんな私に敵意を剥き出しにして何になると言うんでしょうか。いつ不機嫌になるかわからない女の前に座り、仕事をする苦痛を、無視され、大きな音で威嚇される日々を私は三年近く耐えました。

どんどんどんどん心が壊れていく私に両親も「もう辞めたらいいよ。」と言ってくれました。私は退職届を社長に渡しました。社長はそれを黙って引き出しにしまい、「考えさせて欲しい。」と言いました。遅かれ早かれこの日が来ることを社長はわかっていた、そして原因もわかっている、という顔をしていました。私は社長室を出て自分の席へ戻りました。

社長がいつ退職届のことについて話を切り出してくれるのかやきもきしながら数日を過ごすことになりました。

数日が何年もに感じられました。
posted by じぇいこ at 21:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | じぇいこの過去 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/437385449
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック