2016年04月25日

イジメがこの世界から消えてなくなることなどないのだから、(6)

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留学から帰国した私はしばらくアルバイトをしていました。その頃は人間関係にも恵まれて、と言っても男性の上司はロクでもない人の集まりのような部署でしたが、女性の先輩は本当にいい人で仕事帰りに飲みに行ったり、休日には一緒にショッピングに出かけたり、もちろん仕事の相談も聞いてくれて、毎日それなりに充実したアルバイト生活を送っていました。それでも、留学の経験が活かせる正社員の仕事がしたい、という気持ちは心の片隅に常にありました。そんな折、たまたま幼なじみのお父様が仕事を紹介してくれることになりました。地元では名の知れた企業でしたし、留学の経験も少しではありますが活かせる、ということで契約社員の席ではありましたが、面接を受けさせてもらえることになりました。面接官は私がいじめられていた頃の同級生の父親でした。「TOEIC830点って書いてるけど、これってすごいの?」と聞かれ唖然としました。留学の経験が活かせる気が全くしなくなりました。当たり障りのない受け答えだけし、終えた面接でしたが、合格してしまいました。

私は男ばかりの職場で働くことになりました。その職場には女性は二人だけでした。デザインアシスタントの女性と経理の女性でした。デザインアシスタントの女性が寿退社をするということで私は後継として雇われました。しばらくの間、引き継ぎをしてもらい、数週間経ってだいぶ慣れた頃、その女性は退社しました。

これからは男性ばかりの中で経理の女性と二人だけでやっていかなければなりません。でも、その経理の女性社員、名前は高田さんと言いますが、最初から親切にいろいろと教えてくれてうまくやっていけそうな気がしました。

私の新しい日々が始まろうとしていました。海が近い職場でしたから潮風の匂いを感じながら新しい仕事にワクワクと心踊らせていました。
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2016年04月21日

イジメがこの世界から消えてなくなることなどないのだから、(5)

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中学校に入っても結局同じでした。変わったことと言えば、私をイジメる女子が多恵ちゃんではなくなった、ということぐらいでした。

多すぎていつのことだったか覚えていないくらい、中学校生活は荒れていました。荒れていたのは私ではなく、目立ちたがり屋の女子たちです。陰口、無視は当たり前。とにかく嫉妬が渦巻いていました。お菓子を作って交換するのが流行っていましたが、私が作ったお菓子はグラウンドの地面にばらまかれて足で踏み潰されていたそうです。そうやって「言わないでね。」と教えてくれる子が何人かいましたが、小学校と同じ、皆、いじめられたくはないのでコソコソと秘密で教えてくれました。ある時は「〇〇君っていい感じだね。」と女子の間で話した後、ホワイトデーの朝、靴箱にゴミが貼られた箱が入っていました。あげてもいないバレンタインのお返しでした。一円玉、お菓子の紙くずなどがテープで貼り付けられていました。さすがに頭にきて、その男子のいる教室へ返しに行きました。怒鳴り散らす私を女子たちがニヤニヤ笑って見ていました。とにかく数え切れないくらいの最悪な出来事があった三年間でした。涙も出ない卒業でした。私をいじめてきたアイツらはバカみたいに皆泣いて別れを惜しんでいて、それが更に私を白けさせました。

高校はいろいろな中学校から集まって来るので意地悪や嫉妬深い子もいましたが小学校や中学校のように直接いじめられることはありませんでした。体育教師たちによる体罰まがいのことが横行していたので生徒達はむしろ団結していました。楽しいことがあるわけではありませんでしたが、前よりずっとずっとましでした。

大学は本当に楽しかったです。地獄を見てきた私にとっては天国でした。本当に心から親友と呼べる友達もできました。勉強も楽しかったし、もちろん大好きな友達と遊んだり買い物に行ったり、「やっぱり大人の世界は自由だ!」とさえ思いました。夢だった留学も叶い、今でもあの時になら戻ってもいいな、と思うぐらい素敵な四年間を過ごしました。

まさか、その後にまた地獄に戻るなんてあの頃の私は一ミリだって考えもしませんでした。
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2016年04月18日

イジメがこの世界から消えてなくなることなどないのだから、(4)

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希望に胸を膨らませた小学校生活最後の二年間が始まりました。希望はすぐ失望へと変わりました。そしてそれは小学校生活最大の地獄の始まりでした。

五年生が始まってすぐ、多恵ちゃんの本当の性格がわかり始めました。今まで適度な距離を保っていたため、私には本来の姿が全く見えていませんでした。それにずっと友達関係で嫌な思いをしてきたために、よそのクラスの多恵ちゃんが美化されて見えていたのかもしれません。

多恵ちゃんは、今まで私をいじめてきた沙耶ちゃんや彩ちゃんなんかと比べ物にならないほど負けず嫌いで嫉妬深い女の子だったのです。機嫌のいいときは私が多恵ちゃんと初めて出会ったあの頃と同じ、優しくて明るい女の子でした。しかし一度機嫌を損ねると手がつけられませんでした。機嫌を損ねる原因は様々です。私のほうがテストの点が良かった、私が先生に褒められた、多恵ちゃんの遊びたいことを私がしたくなかった、等々とにかくありとあらゆる些細なことで私を無視しました。中でも多恵ちゃんを一番怒らせたのは「多恵ちゃんの好きな男子が私のことを好きだった」ことです。私がその男子とおしゃべりをするだけで、多恵ちゃんの機嫌を損ね、数日口をきいてもらえませんでした。当然、クラスの女子全員に無視されました。もう経験済みなのでわかっていました。皆怖いんです。でも男子はそんなこと知ったことではありませんから普通に私に話しかけてきます。それがまた気に入らなくて多恵ちゃんを怒らせました。

冬休み前の終業式の日、多恵ちゃんの好きな男子がクラス全員の前で私にクリスマスプレゼントを渡しました。私は正直な気持ち、嬉しかったのですが、同時に多恵ちゃんの目が気になって気になって恥ずかしさよりも怖くて怖くてずっと机を見ていました。帰り道、多恵ちゃんは一人でどんどんどんどん歩いて行きます。追いかけて追いついても私なんか見えない、というように先へ先へ進んで行きます。明日から冬休みだというのに何でこんな気分の悪い終業式を迎えなければいけないのだろう...私は大声で「多恵ちゃん、待って!」と言いました。「何で先に行っちゃうの?何か怒ってるの?」多恵ちゃんはものすごい形相で振り返って、私に言いました。「あんなものもらって嬉しそうな顔してバカみたい!」私はいつも何も言い返せないで無視されてばかりいましたが、なぜかその時は右手に持っているサンタクロースの貯金箱が私を応援してくれている気持ちになって気がついたら言い返していました。「嬉しいから嬉しい顔してどこが悪いの!」

その冬休みをどうやって過ごしたのか全く思い出せません。

その後も何度も無視され、私はテストでわざと間違えるようになりました。多恵ちゃんに誘われて始めたお習字もいつの間にか私のほうが早く進級し、多恵ちゃんの機嫌を損ねました。それでも私は字を書くことが好きで書くことで精神を落ち着かせていたので、わざと下手に書くことはしませんでした。が、多恵ちゃんはそれに腹を立てたのか辞めてしまいました。ある時は数週間ずっと無視され続け、挙句私の机を思いっきり叩いて「何で謝らないの!」と怒鳴られました。心の中では何で謝らないといけないの?と思いながらも「ごめん」と言いました。言い方が気に入らないと言われ、「ごめんなさい」と頭を下げました。そんなことばかり繰り返す二年間でした。それでも先生の前では優しく明るく、皆のリーダーの多恵ちゃんなので、先生は本当のことを何も知りませんでした。ある時、「いじめ調査」というプリントが配られました。私は何も書きませんでした。なのになぜか先生に呼び出されました。そして、私は大声で怒鳴られたのです。雅恵ちゃんというクラスでも大人しく目立たない女の子がクラスの数人の女子から無視されたり変な目で見られている、と書いていた中に私の名前があったそうです。全く身に覚えのない罪で弁明の余地もなく怒鳴られました。いじめられてるのは私なのに。悔しくて涙が出ました。でも先生は怒られたせいで泣いていると思っていました。泣いている私に「ちゃんとありがとうって言えるいい子だと思ってたのに残念だな」と言いました。私は心の中で「人間の本質が見抜けない教師で残念だな」と思いました。その後も私の靴の中に砂がいっぱい入っていたり、水浸しになっていたり、いろいろなことがありましたが、犯人は誰かわからないままです。六年間で私のことをわかってくれる人は誰もいない、ということだけ学んだようなものでした。

中学校は小学校と同じメンバーです。もはや一かけらの希望もありませんでした。雑草のように目立たずひっそり三年間を終えたい、ただそれだけでした。
posted by じぇいこ at 22:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | じぇいこの過去 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする